●3号の3 ページ上段、後から5行目 投稿者:
H氏、管理人代理2 投稿日:2023/12/28(Thu) 16:18:05
No.6
〈……町の山林のなかに、800年前に遣唐使が持ってきた茶木が雑木のように生えています。〉
――最後の遣唐使は西暦839年、遣唐使と茶の伝来との因果関係が示されていない。茶の伝来は、西暦700年代中頃から800年代とされている。「800年前に遣唐使が持ってきた」というところだが、800年前となると鎌倉時代のころであり、遣唐使の派遣はされていない。何か、違うのではないか?
Re: ●3号の3 ページ上段、後から5行目 投稿者:
管理人EN 投稿日:2023/12/28(Thu) 18:00:08
No.12
> 〈……町の山林のなかに、800年前に遣唐使が持ってきた茶木が雑木のように生えています。〉
>
> ――最後の遣唐使は西暦839年、遣唐使と茶の伝来との因果関係が示されていない。茶の伝来は、西暦700年代中頃から800年代とされている。「800年前に遣唐使が持ってきた」というところだが、800年前となると鎌倉時代のころであり、遣唐使の派遣はされていない。何か、違うのではないか?
※確かに「800年前に遣唐使が持ってきた茶木」という表現では、800年前の鎌倉時代に遣唐使が派遣されたという誤解されてしまうかもしれません。しかし、著者が言いたかったことは、そうではなく、次のような意味と推測できます。
「今から800年ほど前(鎌倉時代)、かつての(平安時代)遣唐使が持ってきたとされる茶木」とすると、時系列的な誤解は少なくなると思います。またそれが著者が表現したかったことと推測します(著者へは未確認)。ご了承のほど、お願いいたします。
今回は、紙面の制約により、詳しい説明を加えることができませんでした。ご理解をいただきたくお願い申し上げます。
茶の歴史は、明確なものがありません。恐らくですが、ときがわに茶木がもたらされたのは、遣唐使の時代であった可能性が否定できません。慈光寺の歴史が物語るように、遣唐使がもってきた舶来の茶木が、都と行き来する僧侶によってもたらされ、それが数百年という年月を経て、都幾山一帯に自然に広がって見られるようになったのが、800年ほど前の鎌倉時代であったろうと推測されます。
それがさらに数百年経過して、慈光茶として茶文化が開花したのが、今から500年ほど前であるとされます。
因みに、ある茶の歴史の解説に〈日本のお茶の始まりは、今から約1200年前の平安時代の初め。遣唐使や留学僧によってもたらされたと推定されます。歴史書『日本後紀』には、「弘仁6年(815年)4月22日、僧・永忠が嵯峨天皇に茶を煎じて奉った」と記され、これが日本でお茶を飲んだ最初の記述といわれています。〉とありますので、この時代に、ときがわにも茶木が伝わった可能性は少なくはありません。
ご指摘ありがとうございます。